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野いちご〈デジタルリマスター版〉

野いちご
監督:イングマール・ベルイマン/渋谷ユーロスペース/★5(90点)本家公式サイト

何だろう?この完成してるのに枯れてない感じ。『処女の泉』が『羅生門』なら、『野いちご』は『東京物語』。
「人付き合いとはその場にいない人の噂話をすること」という真理をさらっと言い放ち、「それが嫌で人付き合いをしなかった」という端的な言葉で“私”を紹介する。「今から“私の物語”を始めますよ」というアバンタイトルの教科書。もう完璧。ハートわしづかみ。俺ももう人付き合いしたくない。

比較的“分かりやすい作品”と言われているようですが、そうかなあ?表面上はそうかもしれないけど、実は結構難しいというか、いろんな解釈が可能な物語だと思うんです。やっぱり、そう簡単に正解は出てこない。そしてベルイマンらしい「映画館から逃げ出したくなるいたたまれなさ」も存分に味わえる。いやまあ、そんなもん味わって楽しいかって話もあるけど。

この映画で興味深いのは、母親や息子、回想の中の妻や兄弟といった身内はあまり良く描かない。むしろ、「悔改めよ」と諭すのは息子の嫁であり、祝福するのは呉越同舟の若者たちであり、赦しを与えるのは家政婦といった“他人=良き隣人”である点。だから、長年連れ添った家政婦が親しすぎることを拒む(=他人であり続けようとする)のは、物語として必然なんです。
そしてそれらは、劇中の詩に出てくる「神の足跡」なんでしょう。いや、むしろ、神はその足跡しか見せてくれない。

老人話ということよりもこうした“良き隣人”という点が『東京物語』に似ていると思うのですが、冒頭から「人付き合い」という伏線は明確に張られており、そこには「人を受け入れること」「赦す」ことが深く関わっていて、そしてそれは必ずしも「老人だから」という問題ではないと思うんです。

私がこの映画を「枯れていない」と思うのは、回想は決してノスタルジーではなく、“今”の“私”の問題として取り扱われるからなんだと思うのです。確かに人生を達観したような「完成」されたものを感じるのですが、説教じみることは決してなく、常に迷い、悩み続けている。この映画の主人公の旅路が、彼自身の人生の旅路を振り返ることと重なる。そして、『東京物語』同様、観る者にとっても何かしら重なるもの(予感も含めて)を感じる。

だからこの映画は、特殊な人間を扱った物語でもなければ、「老人だから」の物語でもない。当時まだ若かったベルイマン自身の物語でもあるし、人間にとっての普遍的な物語でもある。だから朽ちないのでしょう。

余談

よく知られた話だけど、主演のヴィクトル・シェストレムは「スウェーデン映画の父」とも言われる大御所監督で、ベルイマンは彼の『霊魂の不滅』という映画の『野いちご』への影響を認めているそうだ(主に夢のシーン)。私も『霊魂の不滅』は写真だけ見たことあるけど、馬車だったよ。
そしてウディ・アレンは『野いちご』(だけじゃないけど)からの影響を認めていて、「進化ってこういうことなんだなあ」と思う。
ウディ・アレンの『アニー・ホール』がその最たるものだと言われることがあるけど、私は『地球は女で回ってる』だと思うんだよなあ。

(1957年 スウェーデン)

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