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さよなら渓谷

さよなら渓谷
監督:大森立嗣/新宿武蔵野館/
★2(40点)本家公式サイト

どうして全部「事後報告」なんだ?
大森南朋のお兄ちゃんの監督作は、いつもデッカクて重たい設定をぶち上げるのだが、そこから先の「見たいもの」を見せてくれない気がする。

例えば、真木よう子は内縁の夫を警察に告発するが、その理由は観客に対して「事後報告」である。警察に連行された夫が特に抵抗しない理由も「事後報告」。理由が明かされるまで観客は「どういうことだろう?」と思うだけで、起承転結で言えば「起」の部分が当分続くことになる。
真木よう子視点で物語を進めておけば、ここに一つの葛藤というドラマが生まれたはずなのに、この映画はあくまで「なんだろう?」だけで済ませてしまう。

例えば、主人公の男が過去に起こした事件は早々に鈴木杏の口頭説明によって明かされ、当事者の口から明かされる事実はそれ以上でも以下でもない「事後報告」。その被害者に関しても、観客は容易に推察できる上、大森南朋もたいして苦労もせずに突き止めた挙句、真木よう子の独白もただの「事後報告」で、観客に新たな発見はない。たぶんここが「承」。

「事後報告」と言った加害者と被害者の道行だが、この映画最大の見せ場であろうこの場面は、二人が「そうなる」ために充分なエピソードや描写ができているとは思えない。これが「転」。だいたいこれ、誰の視点なのさ。レイプ被害者の視点なのに、どうしてカメラは客観的な視点のままなのさ。

この映画、重要なポイントほとんど全てを画面ではなく言葉で説明してしまう。意図的なのか?だとしたら何を意図しているのだ?
決定打は「結」。
去っていく真木よう子も描写しなければ、残された手紙さえ映さない。ただ、男と大森南朋の会話だけ。これは一体、何の朗読劇で、何のための手法なのだ?

あまりにも視点がバラバラで、大森南朋視点で事態を解明していくミステリーでもなければ、真木よう子視点の愛憎劇でもない。
話自体は面白いのに、映画(脚本)が消化できていない印象しか残らない。

2013年6月22日公開(2013年 日)

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