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終の信託

終の信託監督:周防正行/ユナイテッドシネマとしまえん/
★4(80点)本家公式サイト

名匠=周防正行が壊す“セオリー”。映画を超えちゃった瞬間。
日本における医療物のドラマやマンガは未だに「ブラック・ジャック」の呪縛から逃れていない、と私は思う。多くは“スーパー外科医”の活躍が中心となり、スーパー外科医が関わった患者の人間ドラマで展開される。まあ仕方がない。それが(少なくとも日本の)医療物のセオリーだ。
また、医療物はSFに似ていると思う。観客にとって、知ってそうで知らない世界。医療の現場は宇宙と同じ。そして、作り手にとっては“上手な嘘”をつきやすい世界なのだ。

周防正行が壊したセオリーその1。
医療物にハンパなくガチでリアルな世界観を持ち込んできた。
医療物に外科が多いのは直接命に関わるドラマが作りやすいからだろう。
ところが、気管支内科。それも喘息。ガンとかじゃないんだ。
そして医者を生身の一人の人間として扱う。決してスーパーマンでも変人でもない。
そんでまた、治療の手際なんかを丁寧に見せるんだ。
周防監督の「知ってそうで知らない世界」を丁寧に見せる手腕は、『ファンシイダンス』や『シコふんじゃった。』の頃から変わっていない。その着眼点は『天国と地獄』の脚本段階で「特急列車の窓は開く」と言い放った黒澤明に近いような気がする。

同じく「知ってそうで知らない世界」で言えば、検事の取り調べ。
てか、事務官って手錠持ってるのね。
検察に呼び出されたらああやって手続きするのね。そして受付はいつも徳井優なのね(たしか『それでもボクはやってない』も徳井優だった気がする)。

ここでも周防正行はセオリーを壊す。その2。
普通、ここは法廷シーンでやりたくなるところじゃないか。それを検事とのやり取りに終始する。まあこれは、『それボク』同様、捜査に対する批判があるんだろうけど。
ただ、ドラマ的なセオリーとしては、検事がいい人で彼女の話に納得してメデタシメデタシ、なんなら検事が自ら真犯人探しちゃいますぜ、ということになる(<2時間ドラマ見すぎ)。
この映画はそんな甘っちょろい絵空事のセオリーを全部排除する。

周防正行が壊したセオリーその3。
最大にして、ある意味映画を超えてしまうほどのセオリー破り。

映画は、観客が草刈民代に感情移入するよう誘導し続ける。
徹底して彼女の視点を貫き、彼女の回想として経緯を観客に伝える。(ツンデレだけど)愛すべき生身の人間として、観客は彼女を受け容れる。
だから、彼女が役所広司から託された「終の時」を、我々は当然のように受け止める。
正義は彼女にある。だから大沢たかおが悪者に見える。実際彼は卑怯な手も使うしね。

しかし、この大沢たかお演じる検事の論理は、実は(検事側の視点で見れば)至極真っ当で筋が通っている。
半ばはめられたような形にせよ、草刈民代は、そして彼女が「正義」だと思っていた我々観客も、「故意に命を断った」ことを最後に認めざるを得なくなる。
我々観客は冷水を浴びせられ、彼女に肩入れしていた熱が一気に冷めていく。
まるで、主人公だと思っていた人物が映画半ばで殺されてしまう『サイコ』のように、観客の気持ちを宙ぶらりんにしてしまう。
そしてハタと気付くのだ。
我々が見せられていたのは彼女の回想だったことを。

そもそもこの話、彼女の都合のいいように描かれていたのではないだろうか?
振り返ってみれば、彼女はひどく孤独だった。相談する同僚とか上司とかいなかったのか?表面上は大人のプラトニックラブを装っているが、かえってその感情が彼女の判断を狂わせたんじゃないのか?酔って睡眠薬飲み過ぎたりして、そもそも最初から大丈夫だったの、この人?とさえ思ってしまう。

これは、意図的な掟破りだ。

この映画は、一方的な視点を貫き、一方的な視点は(他者から見れば)必ずしも真実ではないということを描いているのではないだろうか。
命に関わる話はいい話(感動的な話)というセオリー(観客の思い込み)を打ち砕き、真実を巡る攻防(法廷)は直接描写せず、3年も経ってから告発された理由などの客観的事実は一切排除し、主観(思い込み)に溺れる恐ろしさという宿題を観客に与える。

ただ、この手の作りは、途中で涙を流したこっちがバカみたいに思えてくるんだよねえ。

2012年10月27日(2012年 フジテレビ=東宝)

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