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マルサの女



監督:伊丹十三/CS(再鑑賞)/
★4(70点)本家

21世紀にいまさら語る伊丹十三論
すっげー久しぶりに再鑑賞。少なくともシネスケにコメントを書き始めてからは観ていない。
なぜならば、伊丹十三あんまり好きくないから。いや別に嫌いじゃないんだけどね。

この映画、日本映画史に残る1本であることは間違いない。けど、21世紀のいま観ると「時代だなぁ」と感じてしまう。逆に今だから分かることもある。
「当時は最先端の映画だったんだろうな」と思いがちだが、当時でもどこか垢抜けない感じはあったんだよ。

つまり伊丹十三映画は、「今まで見たことない話」という“先進性”と、今村昌平に代表される「人間の欲や業」を描く邦画の“典型的泥臭さ”の両面を持ち合わせていると思うんです。
言い換えれば、「今までなかった素材」を「今までの手法で料理」した映画。明治時代のすき焼きみたいなもんだ。今までなかった牛肉を醤油とみりんで煮るという。
んで、その両者のバランスが一番よくとれた「美味しいすき焼き出来ました」というのがこの映画だと思う。
初監督作『お葬式』は泥臭さの方が強く出ていたように思えるし、これ以降の作品は(『スーパーの女』が分かりやすい例だが)「目新しい素材=情報先行型」という印象になっていく。

『マルサの女』が“時代”を感じさせる最大の理由は、バブル期を背景にしていることにある。それが単なる背景ではなく、バブル期という時代の中の「人間(の欲や業)」を描いているからこそ、不景気と言われる今観ると「時代だなぁ」と思ってしまうのだ。
そういった意味では、彼の“泥臭さ”は“先進性”と不可分であり、“先進性”も“時代”と不可分であったと言えるかもしれない。

正直言って、昔観た時は「ずいぶんアッサリ山崎努が落ちるな」と、ラストに不満を持っていた。
改めて観て気付いたのだが、これは「男と女の物語」だったのだ。
山崎努が宮本信子の身分証を掴んだ“ピンと張った白い糸”に象徴される男女間の緊張から始まり、津川雅彦と岡田茉莉子のサイドストーリーを折り込みつつ、男と女の関係の中で事態が進行し、終焉する。
「脱税を巡る男と女の物語」。これはそういう映画だったのだと、いまさら気付いたよ。

(1987年 日)

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