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桐島、部活やめるってよ

桐島、部活やめるってよ監督:吉田大八/有楽町丸の内ルーブル/★4(80点)本家公式サイト

当事者はその一瞬を撮影できない。
吉田大八監督作を何故か全部観ていて、「面白くなりそうな題材や素材をソコソコにしてしまう監督」という低評価なもんだから、なかなか劇場に足を運ぶ気が起きなかった。原作も読んでないしね。
結果、観て良かった。うん、良かったよ。てか、痛かった。青春モノって、自分の過去を重ね合わせちゃって、痛いよね。
若さって残酷で、若いって面倒くさい。二度と高校生には戻りたくない。戻れるもんじゃないけど。

既に多くの方が優れた言葉で的確にこの映画を評しているので、私は少し違った視点から、少し映画のテクニカルな面をメインに書こうと思います。

劇中、神木隆之介君が覗いた“カメラ視点”が3度出てきます。

一つは彼の妄想。夕日を浴びながら惚れた女がゾンビに食いちぎられる大変美しいシーンですが、これは彼の妄想ですから、当然現実のフィルムには撮影されていません。
もう一つは、惚れた女を追うカメラ。この時は、なかなかピントが合わず、結局撮影できません。
あと一つは、野球部崩れの帰宅部ヒロキ君を写す最後のシーン。この時カメラは壊れていますから、やはり撮影できません。

惚れた女や学校内ヒエラルキーを越えた友情(めいたもの)といった“青春の一コマ”を8mmカメラのレンズ越しに見つめながら、結局、彼はそれらを一度も撮影できずにいるのです。
この映画は意図的に、“青春の一コマ”を、青春真っ只中の彼らの手中には収めさせないのです。
映画部の顧問が「君よ拭け、俺の涙を」だか『君よ憤怒の河を渉れ』だか『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』だか、「これが青春だ!」的なことを言うのは、青春をとうに過ぎたオッサンだからなのです。実際、若者たちは「俺達に青春映画は撮れない」と言います。

『スタンド・バイ・ミー』や『ニュー・シネマ・パラダイス』みたいなクソ青春ノスタルジー物にせず、金八先生症候群に侵食された学園テレビドラマ的な日和った社会派にもせず、説教じみた臭い人生訓も垂れず、もちろん夕日に向かってバカヤロー的な脳天気なことも、ましてやダメ男に女神が手を差し伸べる『モテキ』のようなクソハッピーエンドもない。
この映画は(あるいは原作は)、真摯に「青春真っ只中の当事者は“青春”に気付かない」視点を守り、「己の戦場」を彷徨うことに気付く「成長」を与えるのです。

また、この話の構成で興味深いのは、桐島が部活をやめたことで“直接”影響を被る人間、例えばバレー部のリベロとか、そういう人が主軸ではないということです。
映画部の神木隆之介君や、我らがニコこと吹奏楽部の大後寿々花など、むしろ桐島が部活をやめても何ら影響のない人間の視点が重視されているのです。だって、彼らの失恋と桐島の退部は何の因果関係もないじゃない。

学校内ヒエラルキーの中で下層の人間、クラスでも「誰だっけ?」的な地味な人間、そうした彼らにも余波が及んだ・・・という見方もありますが、たぶんこの作劇の意図はそこだけではないと思うのです。
この話、桐島は登場しませんし、退部の動機も明かされません。桐島の退部はヒッチコックの言うところの一種のマクガフィンと同じなのです。事件の解明なんか必要ない。原因なんか何でもいい。必要なのは「秩序の崩壊」であり、重要なのはそこから生まれる物語なのです。
分かりやすく言えば、事態の周辺をウロウロする者たちのお話なのです。だって、「桐島の退部」じゃなく「部活やめるってよ」と伝聞調・噂話的タイトルなわけですから。

しかし、直接影響を被る人間の視点では、事件の解明や事態の解決に観客の興味が向いてしまう危険がある。それじゃ描きたい本質が変わってしまう。
一見無関係の第三者の視点、それも神の視点ではなく青春に苦悩する“当事者”の視点に重きを置くことで、「周辺をウロウロする者たち」のウロウロっぷりに観客の目を向けることができているのです。

そしてそのウロウロっぷりこそ、青春そのもの、というか、人生の本質のような気がするんですよね。

余談

レビュー中何度か「青春」という言葉を使っていますが、青春とはなんぞや?ということになると、私は「喪失(挫折)」と「成長」だと思うのです。青春とは、喪失しながら成長することであり、そのことに気付くのが青春時代を過ぎてからなのです。なんと残酷なんでしょう。そして、残酷であるが故に、なんと美しいのでしょう。携帯小説なんかがクダラナイのは、「不治の病で彼が死んじゃう」的な喪失があるのに成長がないからなんだと思うんです。

余談2

「そうは言っても、ヒエラルキー上位層の女たちが、社会に出ても結局ウマく生き抜いて、医者や弁護士と結婚したりするんだよね。ケッ!」と、女子高時代に吹奏楽部の部長だったというウチのヨメは毒づいていたよ。

2012年8月11日公開(2012年 日テレ)

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