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メランコリア

メランコリア監督:ラース・フォン・トリアー/新宿武蔵野館/
★4(88点)本家公式サイト

世界三大珍味監督の一人、絶望好きのラース・フォン・トリアーが描く「揺らぎから絶対」。人にはオススメできないが、俺はめっちゃ楽しかった。
私は、キム・ギドク、ペドロ・アルモドバル、ラース・フォン・トリアーの三人を「観ていて嫌になる話ばっかなんだけど何だか気になる映画監督」と呼んでいたのですが、これを一言で「珍味監督」と命名しました。要するに、くさやとか鮒ずしみたいなもんなんだよねえ。

ブサイクMJことキルスティン・ダンストが、月光浴ならぬメランコリア光浴するでしょ、おっぱいバーンと出して。風呂にも入れない、言い換えれば地球の水を浴びることもできない彼女が、メランコリアの光を全身で浴びるんですよ、意外な巨乳をさらけ出して(<しつこい)。
説明にも何にもなってないけど、もうこれを見た時「私には解る」と言う彼女のことが解った気がしたんです。
「ああ、解っちゃったんだ。解っちゃったんだねえ」と。
何かもう「絶対的な何か」を悟ってしまったんだろうなあと。

思えば、彼女は結婚式へ向かう車の立ち往生からずっと「何かに縛られて動けない」状態にある。カメラ同様、精神的に「揺れている」状態なのだ。彼女を縛っているのは世俗である。第1部は彼女がどれだけ世俗に縛られているかを描写し続ける。そして赤い星を見上げた時から、それを薄々自覚し始めるのだ。

やがて彼女は、夫も仕事も失い、文字通り裸になる。
男どもはその愚かさだけを残して周到に舞台から退けられ、シャルロット・ゲンズブールが女性(あるいは母親)として世俗を引きずった常人の反応を示す中、「絶対的な何か」(この映画では絶対的な絶望かもしれない)を悟った“裸の”キルスティン・ダンストだけが益々研ぎ澄まされていくのです。

シャーロット・ランプリング先生(そんな悪態つくなら来なきゃいいだろうに)はある種の預言者として機能し、「教会も結婚も信用しない」、言い換えれば、信心も(制度としての)人の絆も魂の救済にはならない、と宣言するのです。

そして、ここが私が非常に感動した所なのですが、研ぎ澄まされたキルスティンは、それがまるで自分に出来る唯一のことであるかのように、子供に救済の手を差し伸べるのです。
慰めや説得のような“言葉”ではなく、自ら体を動かし木を削らせ、一緒に「魔法のシェルター」を作るのです。彼女が少年に与えたのは、身の安全ではなく、心の平穏です。
なんと優しい映画だろう。

こういうのを観ると、世界を守るとか地球を救うといった話が、なんて傲慢なんだろうと思っちゃう。

日本公開2012年2月17日(2011年/デンマーク=スウェーデン=仏=独=伊)

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