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J・エドガー

Jエドガー監督:クリント・イーストウッド/吉祥寺オデヲン/
★4(75点)本家公式サイト

人物伝の形を借りたアメリカ国家論
衰えを知らぬイーストウッド御大。むしろ、老いてますます盛ん。お前が注射か何か打ってんじゃねーの?マカか?セサミンか?
ってくらい、毎年毎年野心的な良作を生み出してくる。これは凄いことですよ。
でね、こっちは毎作同じようなことを書いちゃうんだ。完全に御大に負けてる(笑)。

主人公J・エドガー・フーバーは、簡単に言ってしまえば(才能はあるが)コンプレックスと見栄っ張りの塊みたいな人間である。言い換えれば「恐怖心」と「虚栄心」。

これはアメリカという国家そのものの姿だ。アメリカ病と言ってもいい。

『ボウリング・フォー・コロンバイン』の受け売りだが、アメリカという国は“侵略”によって生まれた国である。従って「いつか自分たちも侵略されるかもしれない」という“恐怖心”が無意識に植え付けられているのだ。その結果、彼らには身を守るための“排除”の論理が強く働く。常に仮想敵を持つことで民意やモチベーションの向上を図る。清濁併せ呑む東洋思想とは大きく異なる。
映画好きなら分かるだろう。「宇宙人が攻めてくる」という“侵略の恐怖”を描くのはアメリカ映画だけで、「『ゴジラ』を生み出したのは我々人間だ」という「悪は己の内にいる」という東洋的(日本的)思想とは根本的に異なるのだ。ちなみにフランス映画は“女”ね。「女はワカラン」映画、これフランス映画の基本。

星条旗を描き続ける作家=クリント・イーストウッドは、そんなアメリカの本性を人物伝の形を借りて炙り出した。
ここ数作離れていた「イーストウッドのアメリカ映画」に戻ってきた作品だと思う。
『父親たちの星条旗』で描いた「作られた英雄譚」、『チェンジ・リング』で描いた「人権軽視」といったアメリカ(歴史)の恥部を描いていた辺りに戻ったようだ。

実はこの映画、イーストウッド映画のトレードマークとも言える星条旗の描写がない(室内に小さく飾ってあったような気がするが)。
しかし最後の最後、「半旗を掲げる」という台詞と「棺にかけられた星条旗がトルソンの手に渡った」という字幕で星条旗をクローズアップする。
言い換えれば、星条旗そのものは画面に映さずに、星条旗=アメリカを描写しようとした映画なのだ。
まさしく、J・エドガー・フーバーの人物伝を借りてアメリカという国家を描写しようとした映画。

余談

イーストウッド映画をジェンダー視点で切り取っている人をたまたまネットで見つけて、とても感心した。
なるほど、確かに『ミスティック・リバー』では少年時代に男にレイプされた男を描き、『ミリオンダラー・ベイビー』ではジェンダーの崩壊を描いた。一転して『チェンジリング』では母性を描き、『グラン・トリノ』では隣人の少年にゲイ的な要素を持たせている。
実はひっそりと“性”を扱い続けていたのだ。『マディソン郡の橋』では中年の性を、監督デビュー作『恐怖のメロディ』では異常者という形で。
こう振り返ってみれば、イーストウッドが真正面から同性愛を取り扱っても、別に不思議はなかったのかもしれない。

日本公開2012年1月28日(2011年 ワーナー)

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