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祇園の姉妹

監督:溝口健二/BS/★3(69点)本家

要するにあれだ、ディズニーランドの舞台裏を描いたらディズニーファンから非難された、みたいな。
鑑賞後シネスケを開くまで、本作が「リアリズムの極地」と評されていたことをコロッと忘れていた。
ぶっちゃけ、21世紀を生きるボクたちが、この当時の「リアル」なんて知る由もない。
ただ、「本当のことを描きすぎてケシカラン」という理由で軍の検閲に引っかかったという伝説が残ってるらしい。
公開当時、祇園の人たちが批判したというのも同じ理由なんじゃないだろうか。

この映画を観ていて気付いたのは、路地裏を執拗に描写し、下着姿(シミーズ!)で歯磨きする芸妓のプライベートを写すなど、明確に「祇園的な華やかさ」を排除する意図があること。

祇園という街は男に夢を売る所。いわば「男のディズニーランド」である。
従って、そこには男を幻滅させるような“イメージ”が存在してはならない。
男が大枚をはたいても遊びたいと思う場所。そうしたイメージ戦略の最も成功した遊郭の一つが祇園なのだ。

ところが溝口健二は、そうした表向きのイメージを意図的に排除し、(当時)人々の目に触れることのない“裏”の顔にスポットを当てた。
もし「リアリズム」という言葉から「祇園の姿を余すところ無く描写した」と思ったなら大きな誤解である。この映画は、かなり偏った視点から切り取った祇園なのだ。
ディズニーランドで言えば、ミッキーの着ぐるみを上半身だけ脱いでタバコ吸いながら「今日の客めんどくせぇ」とかボヤいているバイトを描写した映画なのだ。そりゃケシカランって言われるって(<そうか?)。
ディズニースタッフしか知らない裏の姿同様、毎日毎日入り浸っていた溝口にしか描けない“祇園”。

しかし溝口は、単に裏の顔のご紹介を主目的とはしていない。
そこで働く人間、とりわけ女性の“悲哀”こそが描写の中心。サディスティック溝口の真骨頂。
そのキャラクター設定もかなり偏ってはいるが、その感情の流れこそがこの映画の「リアル」なんじゃないだろうか。

私が興味深いと感じたのは、(以下ネタバレ)若き日の山田五十鈴のラスト近くの台詞。
「こんな職業なくなってしまえばいい」といった内容だったと記憶している。
「こんな仕事辞めたい」ではない。「この商売自体なくなれ!」と言っているのである。
おそらく、この映画が作られた昭和11年当時、女性に職業選択の自由はなかったはずだ(女性に限らないけど)。

売春防止法が制定されるのが昭和31年なので彼女の願いが実現するのは20年も先の話なのだが、この映画の制作時点ではそんな人道的なことではない。
ただただ、女の生きる“狭い”道を嘆くことしかできない時代。
それを溝口は描いた。
そして、こういう「“世界”に牙を剥こうとする女性」を描いたことは、当時としては斬新だったのだろう。

だけどなあ、俺はもう強い女性やらファム・ファタルやらイカレ女やらを散々観てきちゃったからなあ。映画でも実生活でも。今更なぁ・・・。

(1936年 第一映画社)

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