August 2018  |  01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31

モテキ

モテキ監督:大根仁/ユナイテッドシネマとしまえん/
★3(60点)本家公式サイト

アックンかっこいい。リリーさん最高。りりィの使い方はもったいない。俺の脳内妄想の方が全然モテキ。ま、俺のモテキは小学校だったけどな。
原作も知らないし、ドラマ版も観ていない。
ただ単に、麻生久美子と真木よう子と仲里依紗の共演が観たかっただけ。オープニング以外同じ画面には一度も出てこなかったけど。
ドラマ版も野波麻帆とか満島ひかりとか、垂涎ものの女優陣だな。

というわけで、少々マニアックな女優好きには長澤まさみはあまり魅力的な要素でないんだが、先日パルコ製作(そういやこの映画もパルコ絡みだ)の本谷有希子の芝居で、生長澤まさみを至近距離で見たよ。脚長っ!ミニスカ&ハイヒールの長澤まさみがスックと立って悪態をつく様は綺麗だったよ。

そんなこんなで、語りたいことの多い映画でレビューは長くなりますが、結論を先に言うと「量的には良い点が多いのだが質的にはダメな点が大きすぎる映画」というのが総括です、はい。

語りたいのはねぇ、俺にはドンピシャだったサブカル趣味。
知ってる曲はもちろん、知らない曲も趣味がいい。
Perfume最高!岡村さんは悪く言っちゃいけない!俺はジュディマリはモロに通ってきた道だぞ!つーか、オザケンはどこに消えたんだ?

最初の待ち合わせが、下北沢のヴィレッジヴァンガード前というのからしていい。
下北のヴィレヴァンなんて一日いても飽きないよ。あそこで暮らせる。俺の脳内のほぼ全てがヴィレヴァンにある。
俺も大学生の頃(二十余年も前だ)、下北沢で女の子を口説いたり女の子に口説かれたりして暮らしていたよ。今日に至るまで、夜明かしした街ランキング1位は下北沢だ。
根本的にシモキタ系サブカルとアキバ系サブカルは違うんですよ。
まあ、分からない人にはスンニ派とシーア派くらいに違いが分からないと言われていますが。

だから、麻生久美子に泣きながら「YouTubeで神聖かまってちゃんとか見るから!」と言われたところで、「それは違う!」と俺も思う。
だけど、麻生久美子に泣いて請われたら落ちる。
当たり前だ。
だって、僕らの女神・麻生久美子なんだぜ!
モテナイ男がイイ女に口説かれたら、何がどうあろうと落ちるって。
他だって同様だ。
真木よう子が上司にいたら(例えどんなに厳しくても)仕事に行くのが毎日楽しいだろ!わざと叱られたいだろ!
仲里依紗のガールズバーだって通うだろ!毎日!俺みたいに!

つまりこの映画、決定的に「気持ちの流れが不自然」なのだ。

Perfume辺りまでのミュージカル的な高揚感や遊び心は面白かったのだが、カラオケ後に麻生久美子に視点が移ってから映画全体の視点がブレ始め、あらかじめ用意された結末に向けて、遊び心や変化球も忘れて一心不乱にストーリーを進めようとする。
ストーリーを進めるためのエピソードばかり並べて、本当に描かなければならない登場人物の「気持ち」まで置き去りにする。
オチを言うのに必死で、話芸がおろそかになった落語みたいだ。

例えば「藤本君じゃ成長できない」という台詞は、言われた男はもちろん言う側の女性にとっても、大変重い台詞だ。
だけどそれを、あのシチュエーションであのカット割りで言うのは映画的じゃない。
どうもあのシーン、意図的に顔を見せないよう演出しているように見えるのだが、せっかく長澤&森山セカチューコンビの「目を合わせるにらめっこ」という前フリがあるのだから、「目を見て迫る森山&目を合わせない長澤」という構図をキチンと観客に見せるべきだったと思う。

話が少し横道にそれたが、勝手に推測するに、この「主人公の気持の流れの不自然さ」はテレビ版の続編という影響なのではないかと思う。
こちらが勝手に期待したのは、複数の女性に振り回される男の物語であり、フランス映画的な「やっぱりオンナは分からん」映画であった。
おそらく、それはテレビ版で経験済みなのだろう(この推測が正しければ、テレビ版を観ていない観客は置いて行かれる映画だと思う)。少なくとも冒頭でそのようなことを宣言しているし、リリーさん刺殺未遂のクダリで一定の“否定”をしているようにも見える。


結果、「一途な男の物語」となってしまっている。
百歩譲ってそれはそれでいいとしても、それならもっと山のように女性にモテモテじゃないと際立たない。
これじゃただの「惚れた女とその友達」という三角関係でしかない。それなら『さんかく』の方がナンボか優れている。
いっそ、キートンの『セブン・チャンス』くらいに派手にやればよかったのに。
ていうか、そういうシチュエーションに憧れる。常に妄想してる。ていうか俺、あっくんになりたい。

余談

上司リリーさんとの関係は世代間の問題もはらんでいるように思う。
私は、この上司リリーさんとも主人公とも1周りくらい離れた中間世代だが、「俺のSEXは正確だろ」というオヤジの高慢さ(精神的ないやらしさ)も分かるし、「今頃彼氏とやりまくってんだろうな」とつぶやく青年の無駄な(バカバカしい)卑屈さも分かる。ともに分かるし、分かりたくもないし、実は自分も両方持ち合わせている。
これはオタク云々以前に世代の問題でもある。
こうしたオヤジ世代の「精神的いやらしさ」は、下の世代の同性にとって、憧れであると同時に、憎むべき、超えるべき対象なのだ。
これは、オイディプスやカラマーゾフの兄弟に代表される(読んじゃいないが)「父殺しの物語」として古来から描かれてきた。
この映画では、物語上の記号としての「父」であるリリーさんを殺すことも超えることもないが、「あんなオヤジにはなるまい」という反面教師としての役割は担っているように思う。
正しいドラマツルギーで言えば制裁を受けるべき“忌むべき父”が主人公の記事を認めるという「安いドラマ」に終焉させてしまう辺りが、N'夙川BOYSの歌の通り「物語が不安定」になっている要因だと思うし、この映画の決定的にダメな点だと思う。

2011年9月23日公開(2011年 東宝)

comments

   

trackback

pagetop