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ソーシャルネットワーク

ソーシャルネットワーク監督:デヴィッド・フィンチャー/ユナイテッドシネマとしまえん/
★3(60点)本家公式サイト

映画鑑賞能力と感情という二面で観客を選ぶ映画。完成度はすごく高い。
一見複雑な構成だが、フィンチャーはとても親切に描写していると思う。
ソダーバーグだとこうはいかない(笑)。
いやあ、ソダーバーグ向きの素材なんだがなあ。
ただ、フィンチャーは『ゾディアック』辺りから“生き様”映画を好んでいる気がする。

そしてシンプルな話でもある。
主人公の(シンプルな)動機、行動目的、性格、全てが冒頭の彼女との会話で描写され、「目標は達成したが目的は果たせなかった男」というシンプルな物語に帰結する。

一見複雑だが描写も親切で読み解きやすい物語なので、とても語りやすい映画と言える。
逆に言えば、この映画を観て何か語りたい人は映画好きなんだと思う。
そういう意味で客を選ぶ映画だと思う。
俺あんまりこの映画で語りたいことないんだよね(笑)。これがソダーバーグだったらなあ(<しつこい)

一本道のカタルシス(笑った!泣いた!感動した!みたいな)ではないという点もあるが、登場人物に感情移入できるか否かも客を選ぶと思う。

フラれた腹いせに彼女の個人情報も含めた悪口をブログに晒すような奴はそもそも感情移入できないのだが、まあ可愛いといえば可愛いが、やっぱり悪い奴だと思う。『悪い男』より悪い男。

じゃあ友人に感情移入できるかと言うと、これは組織的に見たら「見当違いの努力をしている男」であって、ムカつきはしないけどイラッとするタイプ。
フィンチャーくらいになれば(そしてこういう構成の映画ならば)、無駄なものは描写しない。逆に言えば描写したものには意味があるのだ。
友人は「スポンサー探しに奔走している」と言うが、その姿は描写されない。そうした苦労を描写してしまうと観客が感情移入してしまうからだ。

では念入りに描写しているレガッタにはどういう意味があるのだろう?
もしかすると主人公の“単独プレー”の対極にある“チームプレー”の象徴なのではないだろうか。
屈強なエリート双子はチームプレーの人達なのだ。組織的には最も正しい。
ただ、彼らは“他力本願”という悪癖がある。
学長への依頼もそうだが、元々ニノ似の主人公にサイト作成を依頼した段階で、他力本願の失敗者だったのだ。

なるほどこの映画、よく言われるように、現代版『市民ケーン』なのだろう。
私は、この映画も『市民ケーン』も、「面白い」と思うより先に「巧いな」という感情が支配してしまう(そして私は『市民ケーン』もあまり好きではない)。
さすがですよ、フィンチャー。すごい上手。

もしかすると「憎まれっ子世にはばかる」的な話なのかもしれない。
映画界でもトンガッたフィンチャーが、この主人公に自己投影していると考えるのはうがった見方だろうか?

日本公開2011年1月15日(2010年 ソニ=コロンビア)

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