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Ricky リッキー

リッキー監督:フランソワ・オゾン/渋谷Bunkamuraル・シネマ/★4(82点)本家公式サイト

すわ『ローズマリーの赤ちゃん』か?『E.T.』か?と思ったら、ハリウッド的類型のどこにもない、とんでもない哲学映画。
生活の困窮を訴え涙を流す主人公がアヴァンタイトルで描写され、本編は「その数ヶ月前」として始まります。
となると我々観客は、仲睦まじい母娘の姿を見せられても、「この先、どんな不幸が待ち受けているんだろう?」という目で見てしまいます。
なんだか画面に緊張感が張り詰めていて、スクーターでスクールバスを抜くだけで、「事故でも起きるんじゃないか?」とドキドキしてしまいます。
妊娠後も、不穏な音楽や鳥の鳴き声が、すわ『ローズマリーの赤ちゃん』か?といった不安感を掻き立てるのです。

ところが、話はとんでもない展開をみせ、要するに、というか、文字通り、「鶴の恩返し」になるのです。文字通り?

ところがところが、単純な「鶴の恩返し」じゃない。
マスコミ相手に大儲けするわけでもなければ、ロトで大当たりするわけでもない。もちろん『E.T.』にもならない。
ドラマチックな大きな不幸や大きな幸せは出てこないんです。
奇天烈な設定なのに、描かれるのは庶民的な小さな不幸と小さな幸福の繰り返し。
「人生8勝7敗くらいが丁度いい」的な哲学がそこにあるのです。
普通、例えばハリウッドなら「子はかすがい」的なテーマであろうと予想していたら、「人間万事塞翁が馬」だったという、とんでもない哲学映画だと思うのです。
いやもう事態の原因すらどうでもいいしね。毛深いの関係ないって。

私は、フランソワ・オゾンは“喪失”の物語を好んで描く人だと思っています。
結果として喪失する場合もあれば、喪失した後の話の場合もあります。
言い換えれば、「喪失を知る物語」か「喪失したものを埋める物語」なのでしょう。
この“喪失”というキーワードが、私にはとても現代的なテーマに思え、オゾンは「俊英」「鬼才」と言われますが、私は「現代的な作家」という表現の方がシックリくるのです。
彼が時折見せる、意図的な古風さや古い映画へのオマージュも、現代的な作家の成せる技のような気がしてなりません。

日本公開2010年11月27日(2009年 仏=伊)

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