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キャタピラー

キャタピラー監督:若松孝二/テアトル新宿/
★3(69点)
本家公式サイト

この映画で一番考えさせられるのは、綺麗事の嫌いな若松孝二が復活した“今”という時代について。映画としては視点がブレブレだと思う。
「エロスと思想」を武器に、“燦然と輝く”とは言えないかもしれないが、日本映画史上にクッキリと足跡を残す若松孝二。
かつて「ピンク映画の黒澤明」と言われたとか言われなかったとかいう60-70年代が嘘のように、80年代以降めっきり「らしさ」が無くなり、次第に注目も集めなくなっていたと思う。なんだよ『エロティックな関係』とか。
それが、前作『実録・連合赤軍』辺りから高評価を受ける復活ぶり。

一人の業績を考察するに、その人自身の“成長”と、取り巻く“時代”という2つの軸があると思う。

もし“成長”という軸で見るなら、最近の復活はスランプを抜け出す何かがあったのかもしれない。
私が思うに、「『突入せよ!』を観てスクリーンに爆弾を投げつけたくなった」と吐き捨てるように言い、「俺が残さねばならない!と思った」というのが原動力だったのだろう。
もし“時代”という軸で見るなら、贅肉を削ぎ落したような人間の本質に迫る若松映画が、虚飾がもてはやされた時代に合わなかったということなのだろう。
そして今再び、綺麗事の嫌いな「エロスと思想」の若松映画が高評価を受ける“時代”は、一体何を意味するのだろう?
まだ私にその答えはない。
だが、“浮かれた時代”に合わなかった作風が、政治の時代でも熱気の時代でもない今注目を集めるのは、何か時代の変遷の象徴かもしれないと考えている。

だけど、どうなの?この映画?

三流サスペンスのネタあかしみたいなフラッシュバックの回想とかやめてほしい。
そんなものは冒頭で徹底的に観客の頭に叩き込んで、後は寺島しのぶの視点だけで進めた方が正解なんじゃないだろうか?
その方が、「そんな奴が軍神なんて言われちゃうんだぜ」と最初から観客に思わせられるだろうし、どうしてのたうち回ってるのか分からない寺島しのぶの気持ちに観客は寄り添えると思うんだ。
どうしてそこで夫の記憶に観客の興味を持っていくかな?軸がブレてないかい?

最初の頃、「シゲ子さんを里に返さなくてよかった」と親戚(義妹と義父)が囁く(そして彼らは二度と看病に来ることはない)。
里に返そうとしたのは、子供が産めないという理由からなのだろう。
また、同様の理由から、「暴力を振るわれていた」という事態も明かされる。
こうした事態に対し、彼女は、四肢を失って帰ってきた夫に奉仕することで、“復讐”しているようにも見える。

ならば、彼女にとって、「戦争」は勝利への道程ではなかったか。

正直、男女の立場が逆転するこの辺は、『胎児が密猟する日』みたいでワクワクしたんですよ。
贅肉を削ぎ落した先に見える人間(男と女)の本質に迫る若松孝二の「らしさ」。
ところが、映画は終始、反戦めいたことを(かなり声高に)訴え続ける。
ここでも軸がブレてると思う。
戦争を肯定しろとは言わないが、戦争によって一人の女性が精神的にも肉体的にも解放される、そんな“異常な環境が人を変える”奥深い映画にできたんじゃなかろうか?

で、終いには原爆ですよ。
これ、原爆被害者の映画じゃないよね?
軸がブレブレ。
結果として、ほとんど“出落ち”に近い設定ばかり目立って、底の浅いメッセージを声高に叫んでいるだけの映画にしか見えない。

最後の元ちとせの歌なんて、噴飯物どころか、スクリーンに爆弾を投げつけてやろうかと思った。
ウチのヨメ曰く「そんなもの、吉永小百合の朗読で充分!」

2010年8月14日公開(2010年 若松プロ)

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