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カンゾー先生



監督:今村昌平/場所等/★3(68点)本家

イマヘイの女性観を考察する
とにかく走る町医者、アル中の坊主、ヤク中の外科医、売女という魅力的なキャラクターがチームと一丸となって躍動する様は『特攻野郎Aチーム』ばりの面白さだが(<そうか?)、終盤になるにつれ失速する印象がある。
長い。年寄り臭いクドクドしさがある。前半面白かっただけに残念でならない。

イマヘイ映画は女性映画である、と誤解を招くようなことを書いてみる。
それは成瀬的な女性映画ではなく、もちろん若い女性が好んで鑑賞するような、例えば『余命3,4日の花嫁』だかなんだかみたいなものとも違う。
それでもイマヘイは女性を描くことに執着する。
その視点は溝口健二に通じるものがあると思う。だが、サディスティック溝口と異なる点は、どこか女性に畏怖の念を抱いているように見えることだ。
したたかで逞しく、しかし決して悪女ではない、むしろ純真だとさえ言える女性像。

大なり小なり己の身を削って作品を生み出す作家というものは、必然的に作家の視点を作品に忍ばせている。
一人称で書ける小説と違い映画はなかなか難しいのだが、それでも作家の視点は潜んでいる。その顕著な例の一つに「年齢」があると私は思っている。

黒澤明は、自分と同年代の三船を起用することで、自分の年代層の視点で映画を撮り続けた。『生きる』は最終的に遺族の視点で老人の行動を明かしたが、晩年の作品は老人視点のまま進行していることに気付くだろう。
不思議な天の配剤で、若い男女の恋愛物『海は見ていた』は、自らは監督できなかった。
いや、若い男女の物語を企画した段階で、既に黒澤明という映画監督は死んでいたのかもしれない。

イマヘイにも同じことが言える。
したたかで逞しい女性像はイマヘイ流だが、本作ではうーんと若い女性を配置した。
ぶっちゃけ撮影時は未成年だった麻生久美子のお尻とか胸とかペローンと出させた。
そんな娘がオッサンに恋焦がれてくれる映画。
晩年イマヘイの若さ回帰。彼の女性観が確実に変わった瞬間。いや、むしろ原点回帰なのかもしれない。
この映画の段階で、映画監督今村昌平は死んでいたのだ。

人は、自分の精神年齢の許容範囲を実年齢が超えると、若さに固執するのかもしれない。
なぜなら、若さとは永遠に取り戻せないものだから。
なんの根拠もなく、そんなことを思ってみたりする。

(1998年 大映)

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