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鉄男 THE BULLET MAN


監督:塚本晋也/渋谷シネマライズ/
★2(30点)本家公式サイト

もうどーでもいいや
アメリカからのオファーでアメリカ公開前提で話が進められ、その結果「アメリカでは鉄男になる納得いく説明が必要だ」と言われて、その説明(設定)に一番苦慮したそうだ(塚本晋也自身が語っている)。
その辺の事情も苦労も分かるし、意図も分かるんです。
「都市と肉体」といういつものテーマがメインで、最近は「肉体」から「人体」に興味が移ってきていて、最終的に一番カッコイイのが塚本晋也自身という毎度のパターンも分かるんです。
もう少し言っちゃえば、最近めっきりテクニックを過信して役者を信用していない姿勢まで、思いっきり塚本映画。

しかしですな、塚本ファンの私が、観ていて途中で「もうどーでもいいや」と思い始めた。
あ、『トランスフォーマー』と同じ感想だ。なんだ、俺、変体物に興味ないんだな。

塚本晋也は成長期の東京を眺めながら育ち、次々とそびえ立つ高層ビルを「憧れながら憎む」思想が根底にある。オーケンの拝啓江戸川乱歩様に通じる理屈だ(<誰にも分からない例え)。あるいはパト2「もう少し見ていたかったのかもしれんな」理論だ(<これも分かりにくい例え)。

ところがこの映画で、憧れながらも憎んでいる都市への破壊衝動を抱くのは、主人公であるガイジンさんではなく、敵役の塚本晋也なんですよ。
「うわっ!なんだ俺?鉄になってる。なんだ?ウワッ!なんかワカランけどスッゲー破壊したくなってきた」というわけじゃないんですね。
要約すると、「肉体の変容=破壊のための武器」という構図にならなくなっちゃってる。
また、あるいは「ちきしょー俺の身体を鉄にしやがって!復讐してやるー!」って訳でもない。

うまく説明できないんですが、「身体が鋼鉄化(武器化)」していくことと「戦う理由」がイマイチ一致していない気がするんですよ。「心と体が一致しない」とでも言いましょうか。
そうすると、観客側も「感情」と「視覚」が一致してこない。気持ちが乗ってこない。
戦わざるをえない「怪物の悲しみ」も伝わってこない。
で、「なんだか大音響の中で暴れてらぁ」「もうどーでもいいや」という気分になってくる。

そして最大の残念ポイントは、実は深遠な終焉であるにも関わらず、つい最近同じことを『ゼブラーマン2』がやっちゃってるんだな。

2010年5月22日公開(2009年 日)

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