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復讐するは我にあり



監督:今村昌平/渋谷シネマヴェーラ/
★5(93点)(再鑑賞)(本家

妄想の「最後の晩餐」。あるいは合わせ鏡。
20数年前、夜中のテレビ放映で観て以来の再鑑賞。
長いこと「緒形拳ファン必見映画」と思っていたが、改めて観たら「清川虹子ファン必見映画」だった。

この清川虹子は凄い。全ての役者が適材適所、これ以上ない!って白川和子や絵沢萠子の使い方なんだけど、中でも清川虹子は白眉。
うなぎ養殖場のシーンなんてしびれるね。「殺すなよ」って名台詞。声に出して言いたい日本語。
もっとも、清川虹子ファンなんてものがいるかどうか知らんけどな。

清川虹子は「私は恨んでいたからスッとした」と言い、三國連太郎は「恨んでる人間は殺せない」とツバを吐きかけます。
要するに、緒形拳先生演じる男は、本当に恨んでいる人間を殺せない小心者と揶揄されるのです。
では、彼が本当に恨んでいたのは誰だったのか?

彼は、父親に近い年配者ばかり躊躇なく殺します。
これは「擬似父親殺し」なのでしょう。
終いには、「擬似家族」の「(妊娠したらしい)擬似妻」と「擬似母」をも殺害します。
ちょうど実の母が死ぬのとリンクするように。

そしてその際、この映画でほぼ唯一「食卓を囲むシーン」が登場するのです。実家でも、擬似家族でも。言わば「最後の晩餐」。
実家は彼を「悪魔」として追放し、浜松の擬似家族では閉塞感漂う母娘関係に風を通す「天使」として登場するのです。
この2つの家族は、ある意味合わせ鏡なんでしょう。
母と妻。男は一人だけ。実家は父、擬似家族は自分。
父と自分の合わせ鏡。

だから殺せなかったのかもしれない。
本当に恨んでいたのは、父であると同時に自分自身だったのかもしれない。
そう思うんです。

最後に技術的なことを一つ書きますね。
姫田カメラってこんなに面白かったんだ!

余談

今村昌平曰く「緒形拳は、最初いろいろ考えたがキャラクターをうまく掴めなかった」そうだ。
血で汚れた手を水道で洗うことに違和感を感じたイマヘイが「小便で洗え」と即興で演出し、それに応えた緒形拳がその瞬間に「身体でキャラクターを掴んだ」と今村昌平は語っているそうな。

(1979年 松竹)

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