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パレード


監督:行定勲/渋谷シネクイント/
★4(75点)本家公式サイト

マルチバースとは、打って守って走れるバースのことではない。だってそんなバースはいないからね。
私のパレード論:その1

「ご覧、パレードが行くよ」と歌ったのは山下達郎だが、学校教育的に正しいパレードとの接し方というものがある。
それは、見る者にとっても参加する者にとっても、楽しく素晴らしい時間・空間であるという価値観である。自分が楽しかったらみんな楽しいでしょという、最も一般的な考え方。ユニ(単一)の価値観。

その2

「嫌ならば出ていけばいいし、ここに居たかったら笑っていればいい」とは本作劇中の台詞。これもまたパレードとの接し方の一つ。
心の底からパレードを楽しんでいるかどうかは分からない。その楽しい空間を壊さぬように接する。背後にあるのは多様な価値観。お互いの腹の中は分からない。ただ、空気を壊さないことだけが最重要。

その3

「退屈なパレードを憎みながらも実は憧れた影男達」と歌ったのは大槻ケンヂ・筋肉少女帯の「パレードの日、影男を秘かに消せ!」。
華やかな空間に憧れながら、そこに自身の身を置けないことで“憎む”というのも、また一つの価値観。
学校教育的な価値観からすれば「楽しいイベントを憎むってどういうこと!?」と理解不能な発想かもしれないが、私個人は最も“腑に落ちる”価値観。だいたいさあ、どいつもこいつも朝から晩まで浅田真央浅田真央うるさいんだよ(<ちょうどバンクーバーオリンピック中)。

この映画で描かれる“人間関係”は、上記その2の人間関係であることは言うまでもないでしょう。
現代的な若者像と言ってしまえばそれまでなのですが、私は“今時の学校の教室”だと思うのです。
河原で殴り合って「なかなかやるな」「お前もな」「ワッハッハ」みたいな、あるいは「あなたを愛してる。愛してるから殺すのよ」みたいな、傷つけ合ったり腹の底から理解し合える人間関係なんて、今時“時代劇”あるいは“SF”なんですよ、たぶん。

この映画の構成はすごくトンガっていて秀逸だと思うのです。
登場人物が各々主人公の短編の集積で、各短編中できちんと主人公の気持ちが動いていて、短編の集積で全体として物語が動いている。そのくせ、終わってみれば、主人公達は何も動いていないんですね。行定絶好調だな。

闖入者=林遣都は、主人公達の世界を壊す悪魔であり、主人公達の心を救う天使なのです。
しかしこの悪魔天使は、鶴の恩返しの鶴のような“主人公を動かす触媒”ではありません。
彼らの“空気感を露にする触媒”なのです。

小出恵介は親の話から都会で初めて出会った友人の話をし、貫地谷しほりは幼なじみとの泥沼の恋愛を続け、香里奈はレイプ同然に父に犯される母の話をする。誰もが過去のしがらみを「心の闇」として抱えている。
唯一、藤原竜也だけが「親知らずを抜く」という行為を以て過去を断ち切ったキャラクターとして存在する。

そして、過去のしがらみを抱えた3人は、「心の闇」を吐露し涙する場所がルームシェアの“外”なんですよ。
唯一、藤原竜也だけが部屋の中で涙を流すんですね。
それは「ここに居たかったら笑っていればいい」というルールを逸脱した、空気を壊す違反行為なのです。
だから、皆が見下すような目で見つめるんです。

これが“今時の学校の教室”だと思うと背筋が寒くなります。
バースがどうとか言ってる段階で“時代劇”なんですよ。

2010年2月20日公開(2010年)

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