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女は女である




監督:ジャン=リュック・ゴダール/渋谷シネマヴェーラ/★3(50点)本家

『勝手にしやがれ』に続いてフランス映画の一大ジャンルへの挑発なんだと思うが、鼻が曲がるほど青臭い。青汁かっ!
世の中には「女はわからん映画」というジャンルがあり、いや、私が勝手に命名したのだが、ことフランス映画には多く見られるジャンルである。『肉体の悪魔』の昔から、あるいは『禁じられた遊び』の幼少期から、男は女に振り回され、「女はわからん」から始まって「やっぱり女はわからん」で終わる一連の作品群である。

おそらくゴダールの長編3作目。
思えば長編1作目『勝手にしやがれ』は、フィルム・ノワール(フレンチ・フィルム・ノワール)への挑戦、否、挑発だった。
本作が「女はわからん映画」への挑発であったとしても不思議はない。
商業映画と決別する以前の初期ゴダールは様々なジャンルに挑戦していると言われるが、結局のところ、それまでの様々な映画ジャンルに喧嘩を売っていたのだと思う。
だから、「女はわからん」に対して『女は女である』と言い切ったのだ。
俺ならわかる、と。喜劇か悲劇かわからないけど傑作だ、と。

しかし、(この当時の)ゴダール君にわかる女の範囲は大変狭量で青臭い。
かつて女に切りつけられた傷跡を持つ溝口健二が「これくらいのことがないと女は描けない」と言い切ったのとは次元が違う。
酸いも甘いも噛み分けた天下の女性好きおフランス野郎が「それでも女はわからん」と言うのとはレベルが違う。
ゴダールのそれは、初めて彼女ができた映画オタが浮かれているようにしか見えない。
即興演出が“頭で考えただけ”の空回りに見えるのだから、本当に浮かれているのだろう。

B級犯罪映画ならその意図的な“不自然さ”が活きたのに、まともに人を描くべきテーマとなると空々しくなるもの不思議だ。

(1962年 仏=伊)

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