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ゼロの焦点

監督:犬童一心/品川プリンスシネマ/
★2(48点)本家公式サイト

「いい崖には松本清張感がある」とみうらじゅん先生は言った。だが、いい崖が松本清張感を出すわけではなかった。
以前、MJことみうらじゅん先生は崖に凝っていて、「グッとくるグッドクリフ」などと歌いながら全国の崖を巡る「いい崖出してるツアー」という番組を「はなまるマーケット」内のコーナーでやっていて、主な視聴者である主婦層をドン引きさせていたことがある。
さらに、「いい崖かどうかは、松本清張感があるかないか」といった内容をどこかで書いていたりもする。

そう。ミステリーに於ける“崖”の原点は松本清張であり、その原点は「ゼロの焦点」なのだ。
火サスや土ワイなどの2時間ミステリーでフナエイこと船越英一郎や片平なぎさ、あるはキャサリンことかたせ梨乃らが犯人を追い詰める“崖”は、全て昭和32年に連載が始まった人気小説「ゼロの焦点」なのである。
そしてこの映画は、大変素晴らしい崖を見せてくれた。
実に美しい崖、実に見事な「日本海感」を満喫した。
うん。崖は素晴らしかった。

しかしね、松本清張原作の映像化って危険なんですよ。

第一に、「ゼロの焦点」は有名な大ヒット小説ではあるが、ミステリーとしての出来はイマイチだと私は思っている。
私の持っている古い文庫本の解説でも「本格推理小説としては隙が多い」と、文芸評論家・平野謙が書いている。
簡素でテンポよく惹きつける文章では気づかない点が、映像化すると如実に表面化してしまう。
実際この映画は、女性の直感だかなんだか知らないが、ヒロスエがビシビシ名推理を発揮するという穴を見せてくれる。
松本清張は、「推理小説なのにすぐれた文学作品」である点が評価されたのであって、有名作品イコール秀逸なミステリーというわけではないという落とし穴がある。

そして、松本清張の小説は(歴史小説を除いて)社会性を帯びている。
平野謙も同解説の中で「未曾有の社会的混乱の中から派生したひとつの社会的悲劇を、一見平凡な一会社員の失踪という事件に具現化した作者の着眼がすぐれている」と書いている。
松本清張の描く“事件”は“時代”の産物なのだ。
(そのせいか、初期作品は「悲しいやつら」が多く、時代が進むにつれ「わるいやつら」の登場が多くなってくる。)
本作もまたそれを意識してか戦中戦後の映像を登場させてはいるが、いかんせん今のご時世、「未曾有の社会的混乱」を観客が皮膚感覚で理解することには限界がある。
その壮大な“悲劇”は“時代”と不可分なのだが、往々にして悲劇という人間ドラマの面白さとミステリーのみに目がいって制作されてしまう。
この映画も例外ではない。

決着の付け方は映画オリジナルだが、これも大変いただけない。
いや、改変することは構わないのだ。
しかし(ここから重大なネタバレになるよ)、自分の肩代わりしてくれた夫の結末を中谷美紀に伝えるシーンが何故無いのか?
もっと悲劇になっただろうに。
「マリー!」なんて声をかけている場合じゃない。
もっともっと悲しい状況を生み出せる設定をオリジナルで作っておいて、何故ワザワザ捨ててしまうのか?

ついでに“悲劇性”についてさらに言えば、『砂の器』で泣くのは犯人ではない。事件を追う刑事、あのスーパー総理大臣・丹波哲郎が涙を流すのだ。
狂言回しとしての第三者がその壮大な悲劇を知り、同時に観客に伝えている。
この映画であれば、ヒロスエか鹿賀丈史がその役回りをすべきだった(原作ではそうなっている)。
「マリー!」なんて言ってる場合じゃなかったはずだ。
あ、二度も言っちゃった。

2009年11月14日公開(2009年 東宝)

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