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ニンゲン合格

監督:黒沢清/TV録画/★4(68点)gooDB

黒沢清独特の笑えないコメディーと思って観ると分かり易い。
一見異様な舞台はリアルの欠如ではなく、真のリアルのための空間。

kiona氏がシェークスピア学者の言を引用しているが、この映画はまさに悲劇でもあり喜劇でもある。
え?ジャンルはdramaだって?たしかに、紛うことなきドラマではあるのだが、所謂「劇的」な物語を期待されても困るってもんだ。

後に『曖昧な未来』というタイトルの『アカルイミライ』のドキュメンタリーが作られたが、黒沢清の映画は、本作辺りからその「あいまいさ」を増していく。

黒沢清自身「父親と息子が殴り合って最後に抱き着くというような家族は、僕の実感する家族とは違う。もっと白々しいあいまいな関係じゃないか」と語っている。

釣り堀に牧場。いかにも牧歌的風景であるはずのものが、自動車がバンバン走っている街道沿いの住宅街にポツンと立つ。果てはその場が産業廃棄物置き場になる。このいい加減で異様な空間。
黙々と自己と対峙する釣りから共同作業を要する牧場、そして瓦解。この変遷がこの家族の変遷と重なっていく。

「家族ってこんな異様な空間なんじゃねーか?」黒沢清がそう言っているような気がする。

十年の空白を一瞬にして埋められる何かが家族にはある。
我々はそれを「家族だから」と当たり前に受け止める。だがこの映画では、その「家族だから」という既成概念を排除し、「家族」そのものを客観的にシニカルに(温かい目で?)見つめる。家族という一つの媒体を通してニンゲンを見つめる。現実を持ち込む第三者を通じてニンゲンを見つめる。
そう、この映画は描いているのではなく見つめているのだ。だから「あいまい」であり「リアル」になっていく。

小津的家族物語の再構築、または黒澤明の『生きる』、あるいは「ドラえもんの最終回」(その場合ジャンルはSFね)等々いろんな解釈もあろう。しかし、どんな解釈論を展開しようとも、どんなに言を尽くしてその物語(の一断片)を言語化しようとも、映像が物語る数多くの「言葉」の前には沈黙するしかない。それが映画。

個人的には、もちょっと商業的でもいいんじゃないでしょうか?とも思うのだが(ここんとこの黒沢映画には決まって同じような苦言を呈してるな)

1999年1月23日公開(1998年日)1時間49分


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