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大人は判ってくれない

監督:フランソワ・トリュフォー/渋谷ユーロスペース/★4(72点)gooDB/再見

あの頃俺は若かった。大人になって判ったこと。
15、6年ぶりに再鑑賞。スクリーンで観られたことに感謝。

「なるほど、これがヌーヴェル・ヴァーグか」と思って観た大学生の頃。
つまりヌーヴェル・ヴァーグという固定観念が先にあり、どの辺がどうなのか見出そうとしていた(そして見出した気になっていた)頭でっかちだったあの頃。
今、大人(オジサン)になり、新旧いろんな映画を観てきて、「ヌーヴェル・ヴァーグだ」などとかまえることもなく、フラットな思考で観た感想。
「なるほど、これがヌーヴェル・ヴァーグか」(<同じじゃねーか!)

いや、実は同じじゃなくて、無理に探したり枠に当てはめたりすることなく、自分の目で素直に「昔の映画と違う」発見(ってほどでもないけど)があったのだ。

ヌーヴェル・ヴァーグって、映画史における位置付けは確立してるしよく判るのだが、個々の作品を観て「どの辺がどうヌーヴェルなのよ?」ってのはイマイチ不明確な気がしていた(多分今でも不明確なんだろうけど)。
確かに手持ちカメラで屋外に出たとかいろいろあるけど、「手法にこだわるゴダール」「物語に寄り添うトリュフォー」といろいろあるしなあ、ってな思いがあった。
(屋外カメラにしても、隊列から一人二人と離れていく子供達という粋で洒落たエピソードを用意することで、単なる手法ではなく必然に変えてしまう辺りトリュフォーらしい)

で、今回ふと気づいたのが「視点」と「リズム」。

見知らぬ男といる母親を見つけたシーン。
スローまじりの細かいカットバックという手法を用いることで、明らかにそれまでと「リズム」が異なっている。
文書で言うなら、下線とか文字を大きくしたり色を変えたりして「強調」するようなことを、フィルム上、編集で行ったわけだ。
こんなことは以前からもあった手法ではある。
だが、それを意識的に行い、そういった手法を白日の元にさらしたことが、ヌーヴェル・ヴァーグが映画史上に残した大きな功績なのだ(だから彼らがヒッチコックを高く評価した理由も判る)。

このシーン、「リズム」についてのみ述べたが、同時に「視点」(主観カメラという意味ではない)も重要な要素であり、それらはすべて登場人物の「感情」を表現せんがための手法なのである(ゴダールは知らんが)。

後半、留置所に入れられたアントワーヌが周囲を見渡す「視点」。
それまで、強い罪悪感にとらわれることもなかった(罪悪感ゼロではない。早くビンを捨てたくて牛乳を一気飲みする辺りで表現されている)が、急に不安になる様子がよく現れている。
そして護送車から見る街の灯。
これまで、どんなにこの街から(この生活から)抜け出したかったことだろう。だが、こんな日に限ってこの街は美しいのだ!少年院に送られることだけが涙の理由ではない。

これだけのことを台詞も臭い芝居もなく、手法で魅せたトリュフォー。いつからべらべらナレーション好きになった?

もっとも、こんなことは当の昔にみんな気づいてるんだよなあ。

(1959年仏)1時間39分


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