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20世紀少年<最終章> ぼくらの旗




監督:堤幸彦/新宿ピカデリー/
★2(30点)本家公式サイト

健全な話だなあ。
とても健全で、学校教育的には正しい話だと思う。
エンドロール後の展開だけを「学校教育的に正しい」と言っているのではない。
解決編としての作りも正しいと思う。重箱の隅をつつかなければ大きな矛盾もなく、1,2章で広げた風呂敷を折り目正しくたたみ、「シャマランたまらん」的なビックリするような飛び道具もなく、我々を解決へと丁寧に導く。
主人公側は誰も傷つかず、誰も直接手をくださない。
なんという学校教育的な健全さ!

しかし、「学校教育的な健全さ」は「ツマラナイ」ことなのである。

校内放送でポールモーリアが流れるのは学校教育的には健全かもしれないが、体制に反してT・レックスを流すから楽しいのだ。
大人の目を盗んで秘密基地を作り、予言の書なんてものを書くから楽しいのだ。
聖人君主や神なんてものはツマラナイ。猥雑で、苦悩して、滑ったり転んだりするから人間はオモシロイのだ。
(ていうか、ポールモーリアは無害だけど健全じゃないよなあ。

この映画で、学校教育的に正しくない=楽しい箇所は数えるほどしかない。
平成の魔女・小池栄子先生と高嶋政伸くらいしかない。あと光石研ね。光石研はいつだってウヒャウヒャ言っちゃう。いつだって学校教育的に正しくない。

中でも小池栄子先生は、さすが堤幸彦、圧倒的なオモシロ芝居を見せてくれる。
「私は宇宙と一つになるの!」と絶叫する姿は、『ねらわれた学園』峰岸徹を彷彿とさせるものの、残念ながら本作にはあの峰岸徹ほど「映画をかっさらう」舞台が用意されていない。それがダメだ(<そこか?)

また、学校教育的な健全さには「分かり易さ」が伴い、具体化、具現化した結果、矮小化されたものが提示され、それがツマラナイ要因になっていると思う。

例えば、神だのナンだの宗教的なものが提示されたからには“罪”が伴うのが普通である。
しかし本作は、人が生きることの“原罪”ではなく、万引きという具体的且つ矮小化した“罪”で代用する。
例えば、「音楽が人を救う」といった類のことを、「コンサートに来れば被害に合わない」というクダラナイ実用性に置き換えてしまう。

「ともだちは誰か?」から「ともだちを作ったのは誰か?」という話が持ち上がってくるが、これもまた、「怪物を産み出したのは“人”だ」ということを矮小化してしまう。
怪物が、いじめられる側の大きな悲しみを包括した代弁者となっていない。
怪物を助長させたのは、その啓示を鵜呑みにした大衆であるはずなのに、その恐ろしさも描かれていない。
それどころか、氷の女王なる正体不明のメッセージを鵜呑みにする大衆の愚かさ。

人気マンガ原作の大作であるが故、「ツッコまれない」作りに徹したのであろうことは、よく分かる。実際、よくまとまっていると思う。
でも、マジメなこととオモシロイことは、必ずしもイコールじゃない。

2009年8月29日公開(2009年 日テレ他=東宝)

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