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南極料理人




監督:沖田修一/テアトル新宿/
★3(68点)本家公式サイト

美味しい料理を食べると笑顔になるのと同じように、ユルい面白エピソードの連続に笑顔になる映画。ただ、それ以上の読み解くべき物語がウヤムヤな印象を受けるため満腹感はない。
いきなりネタバレなこと書きますけど、基地での最後の食卓が、まるで家族の朝食風景みたいなんです。
母親のような割烹着を着て朝食を用意する主人公、父親は新聞を広げ、爺さんは「首を寝違えた」とか言って、子供らは「デカいウンコ出た」「(母さん)俺のジャージはくなよ!」とか言う。
長い期間同じ釜の飯を食った仲間は、ある意味“疑似家族”になるということでしょうか。
それはそれでいいんですが、それまで何度も(そして何人もの)日本での“家族”の話(一部恋人の話)が登場するので、少しややこしくなってきます。

食材はおろか水さえも不自由する極寒の地を経験したことで、何気ない日常に幸せを見出せるということは分かります。
少し色気付いた娘の成長を眺めることや、テレビ見ながらオナラすることや、遊園地のショボいハンバーガーに舌鼓を打つこと、そうした家族で過ごす時間にささやかな幸せがある。
あるいは、「本当に南極に行ってたんだろうか?」と、非日常をボンヤリ思い出す日常。
それを説教臭くなく描写しているのは分かります。
だけど、一度“疑似家族”に気付いてしまうと、それとこれとのつながりがウヤムヤな感じを受けてしまうのです。

ウヤムヤなことは他にもあります。
“仕事”“夢(帰ったら何をする)”というキーワードも出てきます。
「やりたい仕事がここ(南極)しかない。」「ひどい左遷だ。」
これらの周辺エピソードは、ほとんど何も解決しないまま放置されます。
「子供に小遣いもせびられないし、あと2、3年居てもいいくらいだ。」と“家族”について語っていた医者は、「日本に帰ったらやろうかな。」と言っていたトライアスロンを実践することで、“家族”のキーワードをウヤムヤにしてしまいます。
百歩譲って、“家族”をつなぐのが“食事”だ、と理解したとしましょう。
ですが、仕事や夢に“食事”との因果関係は無いのです。

原作はエッセイなのでしょうか。
要するにこの映画、大変愉快なエピソードは(エッセイ的に)並んでいるのですが、映画として核となる物語が読み取れないのです。
いや何も、わざとらしいお涙頂戴にしろとか、説教臭い話にしろとか、行方不明になった犬と再会しろとか、半狂乱になって殺し合いをしろとか、謎の生物が襲ってこいとか言ってるわけじゃありません。

2009年8月8日公開(2009年 日)


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