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ディア・ドクター




監督:西川美和/新宿武蔵野館/
★3(60点)本家公式サイト

蛇足が全てをぶち壊す。がっかりだ。あ、『ゆれる』と同じ感想だ。
正直、満点付けようと思った。
それくらいストーリーにも演技にも力があったし、物語にグイグイ引き込まれ、圧倒された。
掛け値なしに「今年の堂々ナンバー1映画」に推そうとさえ思った。
途中までは。

以上、『ゆれる』と全く同じ感想。ていうかコピペ。

「あの人ならどう死なせたでしょう?」
そこで終えればよかったのだ。それ以上鶴瓶を出す必要はなかった。

原作物の短編、『フィーメイル』『ユメ十夜』の時も似たことを書いている。
西川美和は巧い。ものすごく巧い。オチの付けかた以外は。

西川美和は、おそらく理性的な人なのだろう。
それがある意味“頭で考えた”サービス精神につながり、過剰サービスとも言えるオチにガッカリさせられる、たぶんそんなパターンだと思う。
同じ女性監督でも、例えば井口奈己は違う。彼女は等身大の目線で感覚的に切り取る。
横浜聡子に至っては本能で撮っている、たぶん。
ウチのヨメに言わせれば、横浜聡子くらいイカれ女(<勝手な決めつけ)だと「彼女ならしかたないね」と思えるところが、西川美和の理性的な“サービス”は「ムカツク」のだそうだ。
異性の私にはムカツク感覚は分からないが、ちょっと可愛い飲み屋の女の子の“賢いリップサービス”に軽くイラッとすることがある。それと同じだ(<そうか?)。
いずれにせよ、破天荒で筋の通らない横浜聡子『ウルトラミラクルラブストーリー』の方が、理性的で筋の通ったこの映画より、はるかに“腑に落ちる”のだ。

あまりにも本作の最後が腑に落ちないものだから調べてみたら(本当は偶然見つけたのだが)、ラストシーンについて西川美和は「主人公が逃げたように思われたくなかった」といった意味のことを言っている。
たぶん、脚本上“頭で考えた”結果、主人公を悪者に見せないために必要なエピソードに思えたのだろう。
だが、松重豊や井川遥が“飲み込んだ”時点で、決着がついていないだろうか。
二度も書くけど、「あの人ならどう死なせたでしょう?」それで充分だったのではないだろうか。

早い段階で登場する赤貝のエピソードでも同じことが言える。
おそらく脚本上、(偶然でも)村民に「さすが先生!」と言わせるエピソードが必要だと考えたのだろう。
だが観客にとってみれば、家族の無言の意向を汲み取り、「よくがんばったね」と看取る姿だけで充分「いい医者だ」と思えたはずだ。赤貝がどうしたなんてことは余計なエピソードで、むしろ“家族の無言の意向”をないがしろにしてしまい、「この映画のテーマは“村”とか“医療”とは無縁なんだ」という印象を与えてしまう。
(実際、西川美和は「医者はたまたまで、本当は詐欺師の話にしようと考えていた」と言っている。)

端的に言ってしまえば「蛇足」。

「風の様に去って謎のまま」の方がよかったのに。
そうでなかったら、残された者達の証言で何かを浮かび上がらせる構成が台無しじゃない?
そんなヒョッコリ現れたら、田んぼの中這いずり回った瑛太の“想い”が可哀相すぎる。
そういや、若くて綺麗で賢い西川美和は、若者の登場人物には結構冷いよね。

いや、たしかに巧いんだよ。その人物描写やキャラクター設定に合ったキャスティングとか。めちゃくちゃ巧い(それ故嫌いにはなれない監督なのだが)。
おそらく主人公だって、父の跡を継ぐのを嫌がったのではなく、目指していたのに医学部に入れなかったんだと思うんだ。そして父のコネで就職したのだろう。おそらく、彼にとって父親は偉大だったし、近づきたい存在だったのだ。
それこそ、脚本を書く上で登場人物の履歴書まで“考えて”いるようにさえ思える。
なるほど、そうした“理性的な考え”が、風の様に去って謎のまま終えられなかった原因なのかもしれない。

2009年6月27日公開(2009年 日)127分


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