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人情紙風船




監督:山中貞雄/ラピュタ阿佐ヶ谷/
★5(95点)再鑑賞本家

本当なら“新しい山中貞雄”誕生の転機となる作品だったかもしれない
おそらく3度目の鑑賞になるのだが、観た年齢で印象が大きく変わっている。

初めて観たのは、第1回東京国際映画祭開催記念で、名作と呼ばれる日本映画を連日夜中にテレビ放映してた時だから、1985年頃。私は18,9歳。
強烈に残っている印象が2つ。
画面の向こうへ流れていく紙風船。
当時買ったばかりのパソコン(MSX!)で鑑賞映画記録を作り始め、【河原崎長十郎】の“長十郎”が何度やっても“長寿売ろう”と変換され、「お年寄りは大切にしなきゃだめじゃん!」とMSXの馬鹿さ加減に怒ったこと。

2度目はシネスケにコメントを書き始めてまだ日が浅い頃。
この映画のレビュー更新順も下から3番目で、おそらく2000年か2001年。私は30歳代前半で、山中貞雄が監督した年齢に一番近い頃。
河原崎長十郎演じる浪人・海野又十郎に肩入れし、「小市民にとって、喜びはあまりにも小さく、悲劇はあまりにも大きい。」とコメントを残していた。

3度目はこのコメントを書いている今、2009年。41歳。
社会的あるいは組織的に中間層に位置付けられる年齢で観ると、海野みたいな実直だけど気が利かない、情に訴えるしか能がない部下はいらない。むしろ、多少悪くても頭の回転が早い髪結新三の方が欲しい存在だ。なにしろ梅之助の親父、梅雀の爺さんだからね、モノが違う。

どうしても海野の悲劇に目が行きがちだが、河竹黙阿弥の原作は髪結新三だけの話だそうだ。
脚本にクレジットされている三村伸太郎が隣人・海野を書き加えたそうだが、その浪人は独り身で、粋でいなせな『河内山宗俊』の金子市之丞みたいなキャラクターだったという。
どうやら、山中貞雄が全面的に書き換えたらしい。
私が山中貞雄に近い年齢の時に海野に肩入れしたのは、あながち間違いではなさそうだ。
そして、その海野のキャラクターの書き換えにこそ、山中貞雄の意図が隠されているに違いない。

別な角度から見てみよう。

現存する山中貞雄3作品連続上映という機会に出会い3週間にわたって劇場鑑賞したのだが、この『人情紙風船』だけ録音状態がいい。
前2作品(それ以前の残っていない作品も)は日活作品だったが、本作はPCL(現東宝)作品。
上映が終わったらフィルムを捨てていたという(技術や保存に無頓着な)日活に対し、PCLの前身はトーキー技術開発会社。
また、この映画には「前進座総出演」とクレジットされ『河内山宗俊』に引き続き前進座を起用していることから、(『百萬両の壷』で大河内伝次郎じゃダメだと思ったかどうか知らないが)流麗な台詞回しの役者を起用したかったのかもしれない。
邦画初のトーキーが五所平之助『マダムと女房』1931年(昭和6年)で、いきなり普及したわけではないから、1937年の本作はトーキーが普及してまだ4,5年程度と推測される。

何が言いたいかというと、「トーキーの技術」「役者の台詞回し」というのは、山中作品を支える重要な要素だったのではなかろうか、ということである。
必要だったのは「いかに台詞を魅せるか」という点だったのではないだろうか。
実際この映画は、粋な台詞は多々あれど、時代劇としての見せ場=活劇(チャンバラ)は無い。

ここで再び、何故山中貞雄が海野又十郎というキャラクターを造形したかに戻る。
山中貞雄は、この映画で何かを終わらせようとしたのではないだろうか?
『百萬両の壷』は父の死から立ち直る子供が描かれていた。
『河内山宗俊』では心中に失敗する青年が描かれていた。
いわば、死(臨死)からの再生が少なからず描かれていた。
だが、本作は明らかに違う。
結果として遺作になってしまったが、本当なら、山中貞雄にとってこの作品自体が「再生のための臨死」という通過点だったのではないだろうか。

では、何を葬って何を創造しようとしたのだろう?
そこで「台詞」というキーワードが出てくる。活劇のない時代劇という作品に意味が見えてくる。
もしかすると、「時代劇から現代劇への移行」ということを考えていたのではなかろうか?
あくまで推測にすぎないし、今となっては知る術もないことなのだが・・・。

おことわり

3作品連続上映の際に毎週【西山洋市】という映画監督のトークショーがあって、山中3作品を串刺しで考察するという試みを行っていた。
今回の私のレビューは、この西山氏の考察から刺激を受け(少なくとも原作のクダリはその話から得た情報だ)、再構築し、勝手に妄想を膨らませて書いたものである。
従って、パクったわけじゃないけど、完全オリジナルの発想というわけでもない。

(1937年 PCL(現東宝))

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