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丹下左膳餘話 百萬両の壷




監督:山中貞雄/ラピュタ阿佐ヶ谷/★5(100点)再鑑賞本家

わずか25,6歳の若者が放った奇跡のユルい一作
劇場再鑑賞を機にコメントを書く。大好きな映画でDVDも買っちゃってたんだけどね。

夭折したことを知っているにも関わらず、私は、山中貞雄=大監督というイメージを持っていた。
人に言われて思い出した。山中貞雄は22歳で監督になって29歳で死んだのだ。
この映画を撮ったのだって、25,6歳の時だ。
(そのお遊びっぷりに原作者が怒ったのも、若造だったからかもしれない。)
加えて、出兵先の中国で病死したことを知っているものだから、現存する山中作品最古の本作(昭和10年制作)以降、『河内山宗俊』『人情紙風船』とどんどん暗い話に傾倒していくことに、日中戦争が泥沼化していく世相のようなものを何か感じてしまう。

山中貞雄は、才気溢れる感性豊かな20代の若者だったのだ。
当時斬新な話運びや軽快なテンポ、大胆な省略法を用いた演出、これら全て(アメリカ映画の吸収の早さも含め)若さ故なせる技だったのかもしれない。

いまだに私がお手本だと思っているのが、その導入部のスピード。
通常、ストーリーを進めるためにいろんな設定をあれやこれや説明していくものだが(そしてそれがモッサリしてると話のテンポが落ちるのだが)、この映画、まあ、早い早い。
「なんと!あの壺にすごい秘密が!」
「あちゃー、弟にやっちゃったんだよね、あの壺。」
たったこれだけ。
冒頭数分で設定の核心を説明し切ってしまう。

しかし、こうしたシンプルな基本設定にも関わらず、まあ、展開は紆余曲折するする。登場人物も意外に多いしね。
しかししかし、とっても紆余曲折するくせにストーリー展開は一直線なんですよ。
「そういやあの時」みたいな回想もなければ「一方その頃」的な場面転換もほとんどない。
まるでリレーのバトンを渡すように、壺か人の行方をカメラが追っていくうちに、ほぼ全ての登場人物と周辺状況を紹介し、それらが寄せ玉のように一つに集まっていく。

そして観客へのサービスもぬかりない。
(改めて観て気付いたのだが)道場での剣術はワンカット長回しで、大河内伝次郎の立ち回りを期待した観客も裏切らない。
女将役の人はレコードなんかも出していた芸者だそうで、その歌声を披露する様はちょっとしたアイドル映画だ。
戦後の検閲でカットされたというチャンバラも、それ自体見せ場であったであろうと同時に、「早く子供の所に行かないと壺が!」というタイムサスペンスの要素も含んでいたに違いない。

時代的なものや実際の関わりから小津や黒澤が比較や影響として名が挙げられるが、“若き才人”だったことを想いながら、このストレートな展開でありながら多様性を秘めた物語の映画を改めて観て、私は今の若き(?)才人達のことを勝手に想ってしまった。

「変なオジサンと子供の物語」は(チャップリンの『キッド』の流れであるのだが)後の『菊次郎と夏』なのだ。
「疑似家族の物語」は後に様々な映画で用いられるモチーフだが、「本当の家族じゃないのに本当の家族みたい」というのをまるっきり裏返しにすると『家族ゲーム』なのだ。
ある人は、子供が抱える壺を「ライナスの毛布」と捉えて「それを手放そうとすることで子供が大人への階段を登る物語」と解釈し、「親を失い丹下左膳という怪物の下で成長する子供の物語」=『千と千尋の神隠し』と言っていた。
シンプルさと複雑さを同居させた軽妙な話法は『運命じゃない人』【内田けんじ】をも想起させるし、決着したんだかしてないんだかユルい物語は『天然コケッコー』【山下敦弘】をも想い起こさせる。

山中貞雄は類稀なる天才監督だったのだろう。
だが、現在でも才気溢れる監督はきっといる。
こうして数十年後に熱狂的映画の殿堂入りするような映画が、現在もきっと作られている。
夭折した若き才人を想う時、私は、こうした才能がこれからも生れてくることを期待してしまう。

ていうか、このユルい映画のコメントのシメじゃねーな。
『人情紙風船』で書くべきだった。

(1935年 日活)

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