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東京暮色




監督:小津安二郎/ラピュタ阿佐ヶ谷/★4(77点)本家

早すぎた傑作。ケータイ小説なんかを映画化するくらいなら、本作を現代でリメイクしてはどうか。
「小津はSFだ!」とどこかで誰かが言っていて、「時代性や風俗を排除しようとした」ばかりか「感情や物語、意味さえも排除しようとした」過激な“抽象性”の作家だった、という論調だったように思う。
小津の過激な抽象性。言い得て妙だ。

ところが本作は、その逆である。

本屋の丸善、大丸デパート、真珠のミキモト、眼鏡の金鳳堂。
台詞やら看板やらで、しきりにリアルな企業名が提示される。
『東京暮色』がいつもの小津らしくないのは、トーンが暗いばかりではない。
もちろん、「娘を嫁に出す父親」話が「出戻り娘を帰す父親」になったという変化球だからでもない。
抽象性の小津が、リアルな題材を取り扱ったからだ。
おそらく具体的な企業名の連呼は「リアルな話」宣言なのだろう。

いやしかし、と思う。

1957年(昭和32年)当時、この話は早すぎたのではないだろうか。
前年に『太陽の季節』が、同年に『幕末太陽傳』が製作されたとはいえ、“奔放な若者”は、まだどこか「一部の人」「ヨソのお話し」というのが一般的な時代だったのではないだろうか。若者だけではない、奥さんが男と駆け落ちしたり、嫁が出戻ったり、今ほど当たり前(と言うのも語弊があるが)な時代ではなかったのではないだろうか。勝手な推測だけど。
そこで小津はリアルな企業名を連呼した。
あえて「隣のあのお宅が」という風に描こうとした。そうは思えないだろうか?
思えない?ああ、そうですか。

やっぱり小津はSFだったんだ。今や時代が小津に追いついてしまった。
崩れゆく家族の形をすくい取った小津の先見性と言ってもいいだろう。
だったら今こそ本作をリメイクすべきだ。
底の浅いケータイ小説なんかを有り難がって映像化するよりも、はるかに面白い話だ。

例えばこの映画、食卓を囲むシーンが無い。雀卓は囲んでるけど。
もっとも、食卓を囲むシーンが小津映画の定番かどうか怪しいが。そういや定番の「同窓会やろう」はあるね(小津の同窓会好きは何か特別な意味があるのだろうか?)。
家族の輪から、母が抜け、兄が抜け(会話の中でだけ出てくる)、姉が抜け、妹が抜ける。
そして、最後にお手伝いさんと会話するのだ。「支度はどうしましょう?」と。
一度も食卓を囲むことの無い“食事”について。

もしかすると、小津は当時の風潮に毒を吐きたくなったのかもしれない。知らんけど。

今こそ、このままの脚本で現代に置き換えてリメイクして欲しい。現代では無理のある風俗部分の手直しは仕方がないとして。
あと、暗いトーンをカバーしようとしたのか、無駄に陽気なBGMも直した方がいいな。

(1957年 松竹)

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