October 2019  |  01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31

ハチミツとクローバー




監督:高田雅博/BS/★3(55点)
本家公式サイト

劇中台詞にもある通り「若気の至り」映画。微笑ましい。
「『僕妹』観ろやゴラァ!ビンタすんぞ!ぶん殴るぞ!」と言われてるのですが、間違って桜井翔君を観てしまいました。だってBSでやってたんだもん。
なんてことを書いている理由は、テレビ放映で鑑賞したことを記すためで、そのまた理由は、テレビ放映で観るとハードル低いんですね、私。採点も甘けりゃコメントもユルい。

そうしたユルい目で観てると、まあ微笑ましいお話しだこと。
これスクリーンで観てたら「もっとヒリヒリ痛がらせてくれ!」などと思ったかもしれません。

小首をかしげるだけで雰囲気のある蒼井優先生はもちろんのこと、伊勢谷友介も思ってたより良かったし、西田尚美をはじめ役者陣も良かったと思う。ていうか西田尚美は良い(<B級女優好き)。

ちょっと面白いなあと思ったんですが、片想いしている側じゃなくて想われている側が映画を引っ張ってる気がするんです。
片想いしている側の桜井翔君であったり山田であったり真山であったりは各々ナレーションで心情を語るのですが、想われている側のはぐちゃんだったり森田先輩であったり西田尚美であったり、心情吐露しない面々の方が映画をリードしている。

想われる側の(意図するしないに関わらない)言動で、想う側が振り回される。それで話が転がっている。
加えて、キスの後スランプに陥ったり作品を燃やしたりといった「(映画的な)行為」も想われる側の人物達に用意され、想う側の人物達に用意されているのは「言葉」だけに思えるのです。

ちょっと面白いと言ったものの、さて、これは映画としてどうなんでしょう?

原作無視して言いたいこと言いますが、映画の構成としては、語り部としての「傍観者」がいた方がよかったと思います。「言葉」は一人の語り部に託すべきだったように思えるのです。

「人が恋におちる瞬間を初めて見てしまった。」という印象的な台詞も(おそらく原作通りなんでしょう)、結果は一過性の台詞に終わり、発した真山自身にその言葉が跳ね返ってくるわけでもない。
真山自身が恋におちた瞬間が描かれて、初めてこの台詞が活きるのに。
あるいは、はぐちゃんが恋におちる瞬間も「うわ!また見ちまった!」ってことになるとか。

要するに、「みんなが片想い=すれ違い」という状況を登場人物誰一人気付いていない。
それを知るのは全てを見渡す神視点でしかないのですが、神視点って感情移入しにくくて痛くないんだよね。
おそらく、制作者には(原作も)「登場人物の誰かに共感できる」という意図があるのかもしれませんが、それならもっと明確にグランドホテル形式などの構成にすべきだったのではないでしょうか。

あ、出だしの割にマジメな締めだ。

(2006年 アスミックエース)

comments

   

trackback

pagetop